こんにちは、はりじろー(@kachilogy)です。
今回の話は、今、まさに鬱病で悩み、苦しんでいる人、鬱病になってしまうんじゃないかと言うほど辛い思いをしている人、悩んでいる人に向けて書いています。
これは、今から約5年前に僕がうつ病になってしまった時の実体験です。
このことを書くことは、とても勇気が必要でした。書こうと思ってから、実際に書き始めるまで、何日も「本当に書いていいのかな」と迷いました。
でも、書かなきゃいけない、と思ったんです。
なぜなら、あの時の僕みたいに苦しんでいる人がいるはずだから。
その人を助けたい。きっと、うつ病の体験談を知りたい人がいるはずだし、同じ体験をした人からの言葉を待ってる人がいるんだ。
そう思ったから書くことにしました。
なお、僕は5年前にうつ病を発症して5ヶ月ほど休職して、その後復職しています。その後、うつ病の再発はしていません。
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うつ病は誰にでもなる可能性がある。恥ずかしくないし隠すことでもない。
今週の始めくらいにブログを書く予定をしていて、何を書こうかな、と考えてた時のこと。
ちょっとしたきっかけというか気付きがあって、「違う」って思った。そうじゃないって。
もっと書くべきことがあるだろうって。
本当に辛かったあの体験のことを書かなきゃいけないって思った。
記憶の奥底に沈めていたこと。思い出したくないこと。
あの時のことを書かなきゃいけないって思った。
なぜなら、きっとあの時の僕のように苦しんでいる人がいるから。
こんなカッコつけたような言葉しか思いつかないんだけど、助けたいなって。
少しでも「心が楽になった」って思って欲しいなと思った。
うつ病になったことを書くなんて、恥ずかしいことなんじゃないかって思ってた。
わざわざそんなことを書いて、中には嫌がる人もいるだろうな、って。
好奇の目で見る人もいるかもな、って。
でも、それがどうしたんだ、って思えた。
どうってことないじゃんって思った。
隠すことなんかじゃないんだって思った。
だって、うつ病は誰にだってなる可能性がある病気だから。
隠そうとするってことは、つまり、僕自身がうつ病を恥ずかしい病気と言ってしまうことになっちゃうから、それはおかしいよなって。
うつ病は誰にでもなる可能性があります。
芸能人やアスリートだってなってるし、あなたの周りにも居るでしょ?
うつ病は誰がなってもおかしくないんです。
多分、一般的なイメージからすれば、僕自身が「うつ病とは無縁の人」というタイプだから。
でも、なった。そういう病気なんです。
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これは僕がうつ病になった時の話。追い詰められて、でも頑張って、徐々に壊れていった。
僕は大学を卒業してから20年ちょっと、ずっと同じ会社で働いています。
僕がうつ病になったのは、今から約5年前の春のこと。2016年のことです。
うつ病になる前、2016年の1月1日付けで異動をしました。定期的に次のキャリアの希望を申告する制度があって、その希望を聞き入れてもらう形で異動をした感じです。
僕は基本的には営業畑でずっと進んできました。この時の異動も、大きな職種のくくりでは営業のままです。ある部門の営業から別の部門の営業への異動という感じです。
とはいえ、スタイルも顧客もメンバーもそれまでとは全然違う部署だから、慣れないことも多かったですね。
そんな中、ある案件をめぐって、対応が大変になり始めました。2月か3月くらいだったかな。もう詳細は憶えてませんが。
どうにか対応しながらも、深夜帰宅が続き、疲労が蓄積していました。何せ、何日も深夜タクシーで帰宅し、朝は普通に出社する日々が続いてましたから。
後になって思えば、この時からすでに集中力も気力も削がれていて、仕事の質も明らかに落ちていたんだな。
社内での調整もままならず、顧客からの要求に応えきれない。そんな板挟みになっちゃった状態。
そんな時、顧客と電話をしていて、喧嘩状態に。
もうかなり追い詰められてたと思う。必死でやっている中でそれがブチって途切れるような言葉があったのかもしれない。とにかく、売り言葉に買い言葉のような格好で、顧客と喧嘩状態に。
当然の流れとして、上司が謝罪に行くハメになりました。
上司や先輩に迷惑をかけてしまったという罪悪感の中、他の顧客の対応もあったりで、負担感が増していきました。
この頃には、もう、記憶力の低下や、思考力の低下が酷くなってた。自分が何をやっているのかわからないような時があったと思う。
そんな中、外出先のカフェで上司からは最近の僕の様子のことや、顧客と喧嘩状態になってしまったことに対して、色々と言われました。それは心配の言葉ではなくて、まあ叱責みたいな感じですね。
それからあまり日をあけずに、部門で飲み会がありました。その飲み会の場で、さっき書いた某案件での対応について先輩より「謝罪の言葉が無い!」と言われたのを良く憶えています。(ちなみにトラブルが発生した時に、言っている記憶はあります。代わりに謝罪に行ってもらう時に。ただ、その後は、感謝の言葉だけだったかもしれない。)
で、その飲み会の場で、部門全員の前で、先輩に謝罪をしました。同時に、「自分は最近おかしい。もっと出来る人間だったはず。大事なことも憶えていない。この仕事はやっていけない。」とその場で訴えたのを憶えています。先輩にも上司にも申し訳ないことをしたと思っています。でも、後になって考えてみると、完全にうつ状態だったと思うし、そんな中、重ねて謝罪を要求されたことで、もうどんどん追い詰められてたと思う。
その数日後、会議の場で、自分が関わる案件のことが何一つ頭に入ってないことに、自分も愕然としました。上司や同僚に指摘されながら、「最近、僕、本当におかしいです」と訴えたのを憶えています。一体、なんの話をしているのかすら、よくわからなくなってたんです。
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会社に行けなくなって、僕は泣いた
そしてその週の週末の夜。休日の深夜。めまいや耳鳴りが起こり、眠れなくなる。
妻に、「会社に行きたくない」と訴える。
妻は、「行かなくていいじゃん。休みなよ。」と言った。
そして月曜日は休みを取った。僕はぐったりと寝ていた。本当に、ずっと寝ていた。
夕方ごろだったと思う。目を覚ましても身体を起こすことで精一杯。
フラフラとリビングへ行き、妻に何かを話そうとして、口を開きかけた。
何かを言おうとして、なんだかわからなくなって、僕は泣いた。
何年ぶりかわかんないけど、僕は泣いていた。
「会社を辞めたい」
僕は、妻にそう言った。
妻は少し考えて、「辞めていいよ。」「明日、行ってすぐ辞めるって言ってきなよ」と言った。
この言葉に、どれだけ救われたか。
もう無理だった。もうダメだった。
この日のその後のことはもう憶えていない。
そして翌日も、会社に行けなかったか、行ったけど辞めると言えなかったのかもう憶えていない。とにかく、辞めると言ってない。言えてない。言えなかった。
心療内科で「うつ病」と言われ、休職へ
そしてそのまま4月末に、僕は心療内科を受診した。なんで受診したのか、自分で行くことにしたのか、言われて行ったのか、これも憶えていない。でも受診した。
先生は僕の話を淡々と聞いていた。
特に共感するとか、そう言うのではなく、どちらかというと、さも良くある怪我や病気の患者を診るかのように、「普通」だった。
「うつ病ですね。休みましょう」
「休む・・・?」
「休まないといけないので。ひとまずは1ヶ月休みましょう」(だったと思う。最終的には結局5ヶ月になった)
僕の中では、「しばらく休む」という選択肢がなかった。上手く言えないけど、「そんなことをしてもいいのだろうか」という思い込みがあった。でも、多分色々と先生からも話を聞き、僕は「休めばいいんだ」「休んでもいいんだ」と思えた。
そして、その後、休職になった。
今回はここまでにしておきます。
休職中の話や、その後の回復の話まで含めると、果てしなく長くなってしまうので。
僕がうつ病になった原因
僕がうつ病になってしまったのは原因は何だったかというと、まあ一言で言えば仕事だろうと思います。そして、その背景も含めて、原因は複合的にあったと思います。
自分が希望したことがきっかけで異動して、周りの期待もある中(あったと思い込んでいるかもですが)、自分なら出来ると思ってもがいていました。
過労が続いて、だんだん思考力、記憶力、集中力が削がれ、余計に時間もかかり、深夜まで働くことになり、また過労が続いて・・という悪循環。
でね、頑張った。
ちゃんとやらなきゃって。
みんなに迷惑かけちゃいけないって。
家族も居るし。ちゃんと仕事しないと。
眠れないまま、頑張って頑張って、
で、壊れた。そんな感じです。
うつ病の人に伝えたいこと
今回は、僕が5年前にうつになるまでの話を書きました。
今回の記事はここまでです。続きはまた書きます。これからこのテーマについては、何度かに分けて書いていきます。
僕は専門家でも医者でも無いし、何か素晴らしい解決方法をこの記事で書いているわけでも無いです。でも、うつ病を実際に体験しました。だからこそ伝えられる何かがあるんじゃないかと思っています。
もし、これを読んでいるあなたがあの時の僕と同じように、うつ病になっているなら、これだけは伝えたい。
がんばったんだね。休んでいいからね。
次回は、僕が休職中にどう過ごしていたかを書いていきます。
→(2021年2月17日追記)書きました。うつで休職中の過ごし方は「心が向くまま」でいい【うつ体験談2】
そこには、うつ病を克服するヒントがあるかもしれません。
読んでくれてありがとうございました。